暫定解 ~「良い写真とは?論」は、もしかしたら論じる事自体が不毛なのかもしれない
Nakano-sakaue / Tokyo, May 2013, M4-2, Summilux 35/1.4, 400TX, D-76
「広告が邪魔!*1」というだけの理由ではてなブログPROにしたらにフォトライフはスカスカだしブログスペースが8個も余ってるし勿体ないな~と思ってるichiro_sです。こんにちは。
前回冒頭でもちょこっと触れたとおり、ここ数週間「良い写真」ってなんだろうってもにょもにょと考えて居りました。一方で私如きがそんな尊大なテーマに果敢に挑んでは失笑を喰らうだろうと思いなかなか記事に出来なかった次第です。
そんな中、自分の中で一つのマイルストーン(≠結論)に達したので、ここに書き残しておこうと思います。はてなブログ繋がりでTwitterでもフォローさせていただいてる皆様が、ここでは半ば言い出しっぺの私より先にこのテーマで記事を書いていらっしゃるので、ちょっと焦ったというのもあります^^
ちなみにタイトルは半分釣りです、すいません(笑)
まず背景から。私がこのテーマを深掘りするきっかけとなったのは、モトシさん(id:motosix) の発言。
普通に良い写真が嫌い / Naturaclassica ilford hp5+ d76 ei1600 - ブラ○モトシ2
ええと、こう、普通に良い写真って本当つまらないですよね。
※ここだけ切りとるとミスリードしちゃいそうなので、本文の流れは読んでおいていただければ・・・
で、コメント欄荒しみたいになるのも嫌なので、Twitterでちょっとした会話を展開しました。
@ichiro_s あーあーなるほどーそうかもしんないですね。人の見てても言われてみると上手い写真は好きじゃないかも。
— モトシ (@motoshi_o) September 2, 2013
@ichiro_s あー、おーそうですね、そういうことかー。ただ結果的にどちらもなんか思ったから切ったんだけど、技術的になってしまうとつまらないと、感じるのかもしれませんね。
— モトシ (@motoshi_o) September 2, 2013
つまり私は「上手い写真」と「良い写真」は本質的には別だぞと、そいう事を言いたかった訳です。
で、ここで根本的な疑問にぶち当たる訳です。
で、そもそも良い写真って何だっけ?
実は、この” 良い写真”という言葉は定義が 曖昧すぎるので、写真を撮ることを趣味にしている多くの人を写真の深い迷宮へと迷い込ませてしまうのです。例えばCさん(id:cm4)
普通にいい写真かー。どんなのが「普通にいい」のか定義できないからわからない(ノ∀`) 自分は、普通に撮る、というのすら難しいからなあ。どんなのでも自分が気に入ったら嬉しいし、人がどう思おうとあんまり関係ないような。う〜ん。むずかしい。
— cm*4 (@cm4vb) September 2, 2013
はい、大正解。その通りです。100人いたら100通りの良い写真の定義があると言っても過言ではありません。
事実、Flickrや100pxなどのコメントを見れば如何に「良い写真」への評価が抽象的かつ曖昧かが分かると思います。
例えば、こんな感じで・・・
- What a glow. (なんという光)
- Excelent work, this picture rocks! (素晴らしい、グッときた!)
- Well captured!! a beautiful image. (よく撮れてる!美しい光景)
一通りコメントを見ると分かりますが、具体的に何が良いかについて触れていません。具体的な事に触れている人はどちらかというと構図や、レンズ・カメラの解像度などテクニカルな要素への言及しかありません。
※実は随分前にこのあたりまでは書き留めてあり、ここから先は写真の三大要素=エモーショナルな要素/撮影技術の要素/撮影機材・環境の要素云々の話を持ち出して解説しかけていたのですが、現在至った思考とは全く違う発想の切り口なので、ここから先は再構築です。
で、まずは私の中で出た暫定解を書いちゃいます。
Q : 良い写真とは?
A : 観た人の心が動く写真、それが良い写真である。
いや、私自身色々考えましたが、やはりこうとしか言いようが無いんです、すいません。失笑を買うのは覚悟の上ですが、一枚写真を挟んでお茶を濁しておきます^^
Hota / Chaiba, Sep 2012, NEX-7, Color-Skopar 21/4
私の地元出身の写真家、金村修氏の言葉にこんなのがあります。
「いい写真って、言葉から逃れてるんだよ。」
シビレますね。もうこれが全てと言っても過言では無いでしょう。理屈では無い良さ、言葉にならない良さ、皮膚感覚に近い様な感動を起こすもの。これこそが良い写真と言えるのではないかと思っています。
・・・というところまでを昨晩夕べウィスキーを舐めながら考え、今朝到達したマイルストーンがここ。
感性に因る部分を無理やり言語化しようとしてもドツボに嵌まるだけだな。「粋」とは何か?を説明するのと一緒で、抽象化すればするほど野暮になる。
— Ichiro S* (@ichiro_s) 2013, 9月 18
言語化するのが難しい心の動き(=感動)を喚起するものが「良い」とされるならば、そもそもそれを言語化して論じること自体ナンセンスなのかもしれません。言葉にすればするほど陳腐なものになりそうな気さえしています。
何方かのブログのコメント欄や、Twitterのメンションやりとりなどで、いつかこのテーマを取り上げるぞ!と息巻いてみたものの、結果的には”記事にする事自体がナンセンス”という思考に帰結したのは非常に皮肉な話です(笑)
では何故我々は「良い写真」について論じてしまうのか?何故「良い」と思う感覚を言語化してしまうのか?
実はこの辺りロジックはまだ分析できていないので、一旦「暫定解」というくくりにさせていただきました。
まだ脳内の整理途中ではあるのですが、コレを紐解くヒントがid:hidekoponさんとのこれまたTwitterのやりとりの中にあったので載せておきます。
@ichiro_s 確かにそうですよね。今回も自分でどこにおっ!って思ったのか考えてみて、一旦わからなくなって、結果的にギラついた光を表現できてる→露出がいい感じって結論に至ったのですが…この「おっ!」の部分を分解して言語化したい欲求にかられるんですよね。
— ひで (@hidekopon) 2013, 9月 12
@ichiro_s ほんとそうですよ。そこに上達のヒントがある気がして仕方が無いんですよね。
— ひで (@hidekopon) 2013, 9月 12
自分が、他人が、「おっ!」っと思いシャッターを切った、その瞬間に沸き起こった感動、その被写体に感じた何か。その正体を解き明かすことが、自分が良い写真を撮れるようになる為のプロセスの一つではないか?という感覚が、背景に強くあるような気がしています。
・・・で、そこでふと根本的なことに気が付いた訳です。
私が「良い写真とは?」といテーマで語らった方々は皆写真を撮る人でした。
もしかすると、「良い写真とは?」というテーマは、写真で自ら表現をする者にとっての究極的な研究対象であると同時に、写真を撮らない人にとっては全くを以てどうでも良い*2テーマなのかもしれませんね。
最後に、このテーマに果敢にも挑んだた方々の「良い写真論」の記事を紹介します。
皆様それぞれ本質は近いものの着眼点が少しずつ異なっていてとても興味深いです。
※後出しじゃんけんのくせに不毛とか言い放ってすいません<(_ _)>
僕が良いと思う写真について / Fuji KlasseS Arista400pr D76 - ブラ○モトシ2
#251 良い写真て? - nameless pictures
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